中学受験 国語 家庭教師 個別指導

       斎藤の<国語の頭脳>教室

  



斎藤先生の<コラム> <エッセー>

<コラムとエッセー> その2
<コラム・エッセー>



 このお話は今から20年以上前のことである。
 
 当時わたしは中野区に在住していた。
 
 20代後半から30代前半と言う頃で、わたしにしては一番女性にもてたころである。
 今は、もう女性から見向きもされない。五十肩の始まったどうみても初老の中年とっちゃん坊や!というところである。ロマンスグレーにでもなり美しく歳を重ねて行きたいのだが、これだけはどうにもならない。
 だからこそ、わざわざ、若かりしときのもてた時分を自慢したくなるのである。
 老いの始まりの典型である。
 くわざら、くわばら!まだお墓の購入さえしていない。
 竹ヤブに無縁仏として捨てられることだけは何とかして回避しなくてはならない。

 それでは、本題に戻ろう。
 
 その当時、同居していた女性がいた。もちろん、結婚するつもりであった。
 結局、逃げられたのである。

 その女性が、記憶が確かではないのだが中野にブロードウェー・ストリートと言う商店街があり、そこの入口にペット屋さんがあったと思う。現在あるのかどうか、確認はしていない。

 二人でデートをし、そのペットショップをウインドーショッピングしていたとき、突如として彼女が犬が欲しいと言った。冗談かと思ったが、事実、シェトランド犬という犬が欲しいという。幾らか忘れたが大変高価であった記憶がする。

 わたしは、見ていると欲しくなるもので実際、飼って見るとそれだけの魅力はないよ、君がここのペット売り場の商戦にひかかっただけだよ、とうまく切り抜けるために、高まる鼓動を抑え、冷静を装い淡々とした口調で話した。

 彼女は、あなたちょっとここで待っててね、と言い姿を消した。
 動揺し、いらいらしながら彼女を待った。

 何と彼女は、銀行に行きその犬を購入する現金を下ろしてきたのである。
 そして、ウインドー内にあったシェトランド犬があっというまに彼女のものとなったのだ。

 その行動力より、あっというまにその犬が彼女のものになったことに驚き、足が震えた。

 小さな子犬でダンボール箱に入れてもらった。
 一日中、ダンボールの中に敷いた毛布の上で寝ていた。

 吠えない静かな犬であった。

 しかし、犬の成長は早い。数週間で、ワン!!と吠えるようになった。
 彼女のお父様が重太郎様といわれるので、ワン、ワン吠えるからワン太郎という名前に命名した。

 さすがに、彼女のご実家で重太郎様の前でワン太郎!と呼び捨てにすることに罪悪感を感じたが、名前は変えなかった。

 わたしは世間に疎いせいか犬は保健所に登録し、人間で言えば住民票のようなものが必要であるかと思っていた。しかし、何も法的な手続きはなかった。

 漠然と、犬には住民票がないのかぁ、と自問自答した思いがある。

 わたしに似て、繊細で敏感な線の細い体の弱い犬であった。虚弱体質同士、わたしはワン太郎と仲良くなった。

 ワン太郎は、数か月後にコンセントをかみ感電死してしまった。
 みんなが泣いた。
 ワン太郎のための立派なお墓ができた。

 今はもうだれもお参りに行く者はいない。

 人の忘却は怖いものである。

第二話

 30代前半のころよくおすし屋に行った。
 もちろん、回るおすし屋ではなく、カウンターがあり握ってもらうのだ。
 非常にまずいおすし屋だ。ご主人が、「うちはまずいからこの値段にしてあるんですよ、」というから本当だろう。
 1階がご主人がやっているおすし屋さんで、2階が奥様がやっている定食やだ。どちらも非常に安い。
 
 客は常連ばかりである。
 常連と言っても人数は知れている。
 5人くらいではなかったであろうか。
 不思議とあたらしいお客をみたことがない。

 その常連5人で店を維持しているということである。

 だから、わたし一人だけという日がよくある。

 お寿司にあきて2階の奥様がやっていらっしゃる定食屋に行くと、主人が淋しがっていますので1階へどうぞ、と言われ、何とすし屋のカウンターで2階の定食であるショウガ焼きや野菜サラダを食べた。こんな恥ずかしい思いをしたのは生まれて初めてである。誰も運が良いことに入ってこなかった。

 元々、ここのご主人は大手の編集委員で、編集の仕事をしながら小説を書いていたのである。遠藤周作さんとともに三田文学に対しての功績は大きい。運のよいことに、ご主人は芥川賞候補になった。しかし、見事に落選。オール読み物だったら掲載するという話であったが、プライドの高い彼はその話を断り、編集者を辞め、文壇と完全に縁を切ったそうである。

 約一年間、ウツ状態で寝たきりであったという。それを危惧した彼のお父様が、御見合結婚をさせ、家庭をもたせ、すし職人にしたのである。

 若い18歳年下のご夫人である。

 ご夫人は美しいのであるが、肝心のすしがまずい。
 明かに修行していないのが手に取るようにわかる。

 お刺身は、ノコギリで切ったようにずたずたになってあるし、さらに、シャリはタルごとお手洗いの付近に置いてある。にぎりは、おにぎのように不揃いで大きさが違う。変形しているのである。コップは洗い方が悪く、ナマ臭い。

 本人に助言すると、うちは細い店で値段だって破格でやすくしてあるんですからいいんですよ、というすごい開き直り様である。

 一度、私は見た。
 換気扇からネズミは入り込み、そこのおすし屋のネタを入れておくショーケースに侵入して卵焼きを食べ去っていく光景を。

 そのことを詳細にご主人に話すと、あっこれね、かじった跡がある、半分切っておけばいいねと平然としていた。

 ご主人は、芥川賞落選後、アルコール中毒に陥り、自己も知っているのだが直す気がないのである。理由を尋ねると、そのことでわたしが誰に迷惑をかけましたか、とまたまた大きな開き直りである。

 酔ってお寿司をにぎるので、お寿司は、回転寿司の方がまともであり、おいしい。よだれを口元から流し、最後は電卓とテレビのリモコンの区別がつかないぐらいである。アルコール依存症、糖尿病、高血圧と沢山病気を抱えられているがお元気なのであろうか。

 わたしは、そんな彼に男のロマンと孤独を感じた。


第三話

 そこのおすし屋さんの話である。
 客層はたった5人であるが、T大学医学部教授、T工業大学名誉教授、Sラーク社長、N鉄鋼社長、後、日本画家とすごいメンバーであった。

 すべてがT大学卒業と言うのが偶然の一致なのだろうがすごい。

 みな偉い先生、代表取締役であるのだがおかしな癖をもっている。

 木曜日に、厳選された人だけが集まる「木曜日の会」があり、黒塗りの高級車が細いすし屋の前を並ぶ。一応、赤坂の高級料亭のようであるが、中身が違う。みな、「木曜日の会」になると、会費は、当時(15年前)一人三万で飲み物は各自、自由に持ち込める。

 わたしのような半端ものがそんなところには呼ばれないのであるが、ご主人に呼ばれ、ご主人の友人と言うことで紹介された。名誉なことである。皇后さまから叙勲を受けたり、文化勲章受章者がいるのであるから。

 学者、芸術家はみなゆっくりと飲んでいるが、代表取締役は忙しい。秘書に呼ばれるたびに、車で電話し相談である。

 飲み物は持ち込みなので、わたしはシャブリをもっていった。どぶろく、日本酒、焼酎、紹興酒、ビールと様々なものが並ぶ。

 ご主人がさばいたタイの刺身は豪華で大きいのだが、ノコギリのようにギザギザになっており、その価値を二束三文にしていると思った。

 わたしは、T大ではない。都立のT大ではあるが。

 みんなが言う、本当のエリートはT大だよな、と。

 こんな優秀な人でも学歴やT大にしがみついているかと思うと非常に日本と言う子国が陳腐で情けなく思った。さらに、学歴偏重主義、受験戦争は続くと思った。

 みな酔ってくるといろいろなことを話す。

 中でもT工業大学名誉教授はすごかった。

 彼は、<血管>フェチシズムなのである。すなわち、皮膚から浮き出た<血管>を見て、性的な興奮を感じるのである。

 彼は、わたしの細く白い腕に浮き出た、<血管>をつまみにし、飲んでいた様である。

 もう、80歳に近い名誉教授であるので腹も立たない。

 その分、彼のつまみをたらふく食べることで何とか満足したのであった。

 しかし、実際は、彼の方が、<満腹?>であったのだろうか・・・・・・・?

 わたしの<血管>で・・・・・・・・

第四話

 少し真面目な事も書いておこう。

 芸術、文学に生きる人間は、元々人から理解されないがゆえに毛嫌いされる。

 しかし、芸術、文学、詩に生きる人間は、社会生活(市民生活)の健全さからかけ離れているのである。

 常に、健全な<美>、不健全な<美>を求め、<芸術と言うしたたかな迷宮>と<健全な市民生活>の間を生きているものなのだ。

 芸術、文学、詩に生きる者は<発想>がすべてである。

 発想なくして生きることはできない。

 彼らの頭、心の中では、常に生産活動が続けられ、それができあがった瞬間に、書記のようにペンと紙、インキで機械的に転写するだけなのである。

 だからこそ、芸術家、文学者、詩人は、インキに呪われているのである。


 第五話

 <胎児>

 みなどうやって入浴されるであろうか?

 わたしは生まれつき心臓が悪いため長時間の入浴は禁止されている。もちろん、温泉は禁止である。

 元々、身体虚弱な上、男の大切なものが小さいので温泉を禁止され逆に安心している。友人から旅行に誘われても、わたしだけ部屋についているお風呂で入浴できるという公明正大な理由がつくからである。

 事実、温泉で全裸のまま、二回倒れた経験がある。

 家庭内で入浴する場合にも非常に気を付けている。

 胸の上までお湯につからず、お湯を浅く浴槽にはること、さらに長時間の入浴は、厳禁である。

 あるお正月の晩、わたしは、非常な苦悩に襲われ、リラックスのためにその規則に反することをした。

 浴槽にお湯をあふれんばかりに、なみなみと貼った。

 そして何を思ったか、浴槽にお尻をつけ、両足を両腕でつかみ、前傾姿勢で倒れるように浴槽に潜った。

 ダイビング!である。

 そしたら、体が浮力の原理で浮いた。

 わたしは悟った。

 母親のお腹にいる<胎児>のときはこんな気分であったのだろうと。

 そして、わたしの心は安らぎリラックスし、苦悩は消えた。

 <胎児>へのカフカ的、変身であった。

 一度、試されたらいかがであろうか?

 その価値はあると思う。

 温泉、お風呂屋でやったら狂人と思われるのであくまでも家庭内風呂である。

 そこを、強く注意しておきたい。

 第六話

  <詩人>

 <詩人>を一言で言うなら、<存在してゆくことの危うさに最後の最後まで自己を賭けること>だと思う。
 また、<詩人>は、この<世>で余りにも多くの制約を受けすぎる。

 この<世>で<詩人>が<詩人>であることは不可能だ。なぜなら、<詩人>は常に一つの形式の<場>にいることに退屈してしまう。

 だから、次の<方法手段>を探すのだ。

 そのことを他の<芸術家>は嫌悪し、<詩人>を嫌悪する。

 <詩人>は常にこの世において<有罪>なのである。

 だからこそ、<詩人>は、死んで蘇るのである。

 第七話

 これは前述したワン太郎のことである。

 当時、中野区、杉並区に移転しながら突如として岡山赴任の話が出た。

 当時、出世のためだといっても、首都圏だけで生きていたのに突如として岡山とは驚いた。給与もよくない。

 将来性を考え、岡山に行くことにした。

 もちろん、当時、同居していた彼女とともにである。残念ながらワン太郎はいない。

 岡山までいく手段は、飛行機と新幹線と二つある。

 わたしは旅費を出してもらう立場なので新幹線でいった。

 今、ボケてきたが東京から4時間ぐらいかかった記憶がある。

 宿舎は与えられ、そこから職場に向かえばいい生活が始まった。岡山はおもしろく広島、兵庫、大阪と関係がない。ガクバツで言うと、K大学とT大学である。あたらしい発見であった。

 問題は、彼女のことであった。

 当初、元気はつらつとしていたのだが、友人がいない、交通機関が発達していない、当時、インターネットなどなく情報がはいらないなど、彼女のイライラは募った。

 これを解消するために、わたしは思いきった手段に出た。

 ワン太郎2号の購入である。2号といっても愛人ではない。シェトランド犬を飼うのが2匹目であるということだ。

 値段が高く、カードで分割払いにした。悲惨なことである。
 
 今度のワン太郎!は、前回と違い、良い言葉で言えばたくましく、悪い言葉で言えば、非常に凶暴である。

 線が細いどころか、態度が大きく、眉がスミで塗ってあるような厚顔ぶりである。

 よくわたしの手をかんだものである。そのたびにケリをいれてやった。そしたら、足をかまれ動けなくなった。

 このワン太郎は、誰かから引き取ってもらった方がいいだろうということになり、埼玉県の知り合いの家に差し上げた。
 
 室内犬にしていたので大分、宿舎は大荒れである。わたしが、ワン太郎に目がけて投げたワンカップ大関が見事に外れ、壁に大きな穴を作ってしまった。

 岡山赴任で、彼女に逃げられた。

 わたし一人になった。

 淋しかった。酒を飲み、新聞、テレビでごまかした。

 そこの契約が切れて東京に帰る際、事状をはなすと療の荒れた部分の賠償金は免除された。

 しかし、東京に帰った後も、ワン太郎2号の分割払いの請求が来た。

 それを、見るたびに、彼女のことを思い出し、涙流した。

 第八話

<文学、芸術との出会い >

 ここのところ「青春恋愛物語(仮の題名)と題して<小説>を書いている。

 何々<新人賞>とうよくあるがわたしはお勧めしない。

 直接、大手出版社に原稿をもちこんだほうがよい。

 必ず、編集長から手書きで論評(酷評)があり、ビニールに包みさらに茶封筒に入れて宅急便で親切、ご丁寧に送り返してくれる。これには、頭が下がる一方だ。

 そんなことがあり、ここの更新が遅れてしまった。500ページくらい書かないと本としての体裁をなさないので1日20ペジを目標としている。

 恋愛、ユーモア小説である。ユーモアを通じて生きること、人生の本質を読者に分かって、知ってもらいたいのである。

 ユーモアとは次のようなものである。

 ビタミンCを摂取するために医薬品のビタミンCを取るのとミカンを食べるのとどちらがおいしく感じられるであろうか?ちょっと、考えてみて欲しい。

 わたしは、<英才教育>を受けてきたので世界文学全集は、小学校に上がる前にほとんど読み切ってしまった。

 小学校に上がってから、わたしが興味を持ったのは<新聞>である。

 <新聞>を読んでからいろいろなことを父に聴く。しかし、当時、父は労災病院の部長医師であり、簡単に言えばサラリーマンである定刻に出勤しなくては、病院長にしかられるわけである。

 いつも、「うるさいぞ!ごちゃごちゃいうなっ!」と叱りつけられた記憶がある。

 小学校から下校するとお庭があり、アマガエルは何で色がかわるのであろうか?<目>で見て色を変えるのであろうか?それとも<皮膚感覚>なのであろうか?などという疑問を持ち、当時、<ファーブル昆虫記>の影響もあり小学生なりにいろいろ考えたものである。

 次の疑問は、アリである。なぜ、アリはエサを探しにあんなに遠方までいっても巣へと戻ってくるのであろうか?

 この二つの諸問題は、小学生のわたしを悩ませた。

 <文学>と言えば、<名前>を呼ばれたり、<もうごはんですよ!>と呼ばれても全く耳に入ってこなかった記憶がある。その<世界>へ<埋没>していたのであろう。

 もちろん、厳しく叱られた。

 しかし、父親が優しく病院の帰りに毎晩、本を買って来てくれるのだ。

 その本を、わたしは毎晩、その日のうちに読み切ってしまった。

 母親に繰り返し、読みなさいとよく言われたものだ。

 しかし、そこには父親と密約があったのだ。

 父親はクラシク・レコードが好きで病院の帰りに毎晩買ってくる。それを母に責められないため、「ほら!本を買ってきたぞ!」と、わたしをカモフラージュに使っているところがあった。

 ヘッセ、カロッサ、マンから多大な影響を受けた。

 中学に進学した夏休み、「世界の名著シリーズのデカルト」を買った。

 われ思う、故に我ありの偉大なフランスの哲学者である。

 今思うと、とにかく、欺瞞><誤謬>とか分からない言葉が多い。

 それらに皆、線をくれ広辞苑を片手に読んだ。

 非常にゆっくりなペースであったが、秋までには<方法序説><省察><情念論>を読破した。いまなら、次はスピノザを読むという順序は知っているが、やはり、有名な<カント>を読んでみたかった。

 <カント>は、何も分からずじまいで放り投げ出してしまった。

 生まれて初めての挫折である。

 その後、ショックが大きかったせいか、ヘッセへと回帰したと思う。

 大人になった今、何を読んでいるかと聞かれれば、週刊ポスト、週刊実話、女性セブン、女性自身のたぐいである。頭が疲れず非常に憩いになってよい。だんだんとわたしの脳は老化してきているのだ。

   第九話

 今日は4月19日である。早いものである。もうじき初夏である。
 
 暑くなると男性としては女性のファッションが気になるところである。

 薄着になる、皮膚が体の線が露出するから気になるのだ、ろう。

 最近の女性はスタイルが良くなった。良く言えば、中国人のように足が長くなった。これは、畳での生活から西洋式のイス、テーブル中心の生活習慣、さらに食生活の欧米化が考えられるだろう。

 確かに、背が高くなり足が長い女性が増えた。その反面、ローライズジーンズの流行のせいか、ウェストが太くなった気がする。お尻は、欧米人のように大きくなった。一長一短である。仕方があるまい。

 年長の女性でも足がスラッとしジーンズの似合う女性を見ると美しいなと思い、胸が苦しくなってその場にうずくまる。美しすぎるのである。

 ここのところ、土曜日と日曜日と連日、内容証明を出しに行き、本局まで往復60分である行ったので合計120分である。

 土曜日に内容証明を出しに行ったのだが、出した後、間違いに気づき、訂正の内容証明を出しに行った。明らかにボケてきたようだ。
 
 話しは変わるが、わたしは今、空いている時間に「青春恋愛物語」を書いている。

 なぜ、わたしは、わざわざ、そのような<作品>を書くことにしたのであろうか?

 若い時、二十代の頃は、肩思い、肩思いを相手に何とか通じさせようと、気持ちを分かってもらおうと、日々、あげく。そのことが人生のすべてなのだ。

 そして、<恋>がかなえば、お互い愛し合う。

 その<愛>は<純粋>であり、<打算>は微塵もない。

 大人になり、成長するとこの場合言ったらよいのかどうか(?)、<愛>は<打算>に変わる。

 こういう人と<恋>したいわ、とか、<打算>的な<現実>的な<選択枝>が増えるのである。

 <恋>のために<恋>するのか、<自己の生活(自己保身)>を考えて<恋>するのか、もはや、分からない状態である。

 具体例を出せば、<高学歴、高収入、高身長>がいいわ、などという時期があった。

 <恋>し<愛を育み>結婚するのか<生活のために結婚するのか>今の時代分からなくなってきた。

 それらを踏まえながら<恋するとは>、<愛を育むとは>、<生活するとは>、<結婚するとか>について、わたしのその<作品>を通して言い切るつもりである。

 第十話

 今は横浜市の片田舎に住んでいるが、十年以上前は渋谷区に住んでいた。

 非常に大使館が多く、交通が車の場合でも非常に便利であるので、有名な芸能人、俳優、女優、モデル、野球選手が住んでいた。

 渋谷区にはわたしには珍しく10年以上住んでいた。

 それくらい住んでいると、不思議と町内付き合いがはじまる。

 その頃、生まれて初めて「町内旅行」に参加してみた。

 「町内旅行」のおもしろさは、10円単位で動く夢と現実にある。

 町内会長及び商店街の会長を中心として、そこの地域においてはっきりいってしまえば、お金持ちが呼ばれ一席もうけられるのである。

 何ゆえか、わたしまでもが呼ばれた。わたしは貧乏人であるが、結構、如才なく、近所及び商店街とお付き合いをしていたせいかもしれない。

 北海道、沖縄とカ、当初の目的は大きい。しかし、具体的に旅行先が決まり、旅行費用が決まると、必ず話は大荒れに荒れ、崩れるのである。

 まぁ、10円単位で旅行費に対して細かいことを言う人がいるかと思えば、1万ぐらいいいじゃないかと言う人もいる。

 そのギャップが、醜いせせこましい「バトル」を毎晩続ける原因になっているのだ。

 10円単位で動く人、1万円単位で動く人がいても、その話し合いの会場になっている飲み屋、すなわち、座敷がある居酒屋が何万も大もうけをしている。

 この人たちは、この大きな矛盾に気がつかないのである。

 わたしは、余計な事を言って巻き込まれたくないので、黙ってマイペースで飲んでるだけだ。

 大抵の場合そうなのだが、一番、大もうけをしたのは、会場になった居酒屋であり、いらいらしストレスをため込むのは、その議論を10円単位VS、1万単位の人たちであり、結局は、何回も議論を行うので10円単位で動いている人も数万円使っている計算になっているのである。

 これを、勝ち負け、勝ち組VS負け組の争いと言えるであろうか?

 非常に、落ち度、ミスがあるというか、有り体にいって、まぬけである。

 最後は、議論に両者、数万円の飲食代金を使い、数千円のところで決まるのである。

 どこか場所を言うとすぐにばれてしまうので言わないでおこう。

 旅行と言うより、小学生の遠足である。

 そこのみじめな旅館で酒を飲み過ぎた歯科医が、入れ歯を飲み込んでしまったり本当に事実とは思えない滑稽な事が続くのである。

 事実は、小説より<奇>なりとはよくいったものである。


                つづく (ご容赦ください)

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 第十一話

 続きである。

 バスがチャーターされた。

 その豪華な大きなバスより、そこに集まっている町内会の人々の姿に驚いた。みんな大きなビニール袋をぶら下げている。見てみると、缶ビール、チューハイ、一升瓶の日本酒、柿のタネ、スナック菓子、など尋常とは思えない量である。

 夜逃げかと一時、錯覚をした。みな手に得体の知れないビニール袋と布でできた買い物袋を両手でりきんで持っていたせいかもしれない。

 わたしは、食べモノなど旅館で出るであろうから、着替えだけである。

 町内の人に聞くと、旅館で食べモノ、つまみを注文すると高いのでわざわざ持参するそうである。

 しかし、元々、旅館をはじめそういうところに宿泊する場合は、食べモノは持ち込み禁止になっているはずだ、というのが、わたしの社会的通念である。だが、そんなことを言って、わざわざ、いびられたくないので黙り、心の中で本当は悪いんだよ!そんなことと、大声で天空が割れんばかりに怒鳴り散らした。

 どんなに大きな声でも、心の中で叫んでいるので誰も気づく者はいない。

 心とは便利であるな、と我ながら感心した。

 バスに乗るとすぐに席順争いが起きた。

 醜い。

 わたしは、どこでも良いので後部座席の窓際である。

 町内会長と商店街の会長は、一番前の車輪の上にある飛び出した席に陣取っていた。

 有り体に言って馬鹿である。一番、乗り心地が悪い車輪の上を我さきに陣取るとは、その神経が理解できない。

 一番前の席=トップクラスであると思っているのであろう。

 丁度、飛行機でいえばファーストクラスの感覚である。

 バスの中でみなゴソゴソと食べ物を出し、狂気じみたカラオケ大会が始まるのである。


                        つづく、その2
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第十二話

バスガイドさんがこれからカラオケをします!という。

 いっせいに猿山の猿のごとく、「きぃーきぃー、きゃーきゃー!」とバスの窓ガラスが割れ、「奇声!」が外にもれんばかりの勢いである。

 だだっ子である。

 例えに出したら悪いかもしれないが、事実だから仕方があるまい。わたしが見た、農協さんの一群も同じような醜態をさらしていた。それもイタリア、ローマ市のホテルで、ゆかたを着てスリッパで高級ホテル内を歩くのである。

 別に蔑視しているわけではない。事実を述べているだけである。

 誰から歌いますか?という問いに、突然その奇声はやみ深閑となった。

 誰が先に歌うのかが問題であることをみんな知っているから、下手に、「わたしが歌います!」などというと、この遠足のような陳腐な旅行が終わった後、、長内で村八分にされるのである。

 みな、そのことだけは、おかしなところで頭が良いというのか、「本能」だけは発達していた。

 言うなれば「自己保身術」である。人類生存の基本でありそれが、このバス内で繰り広げられているのである。

 有り体に言って、町内会の会長が先に歌うか、または、商店街の会長が先に歌うかそのことは、誰もが知っていた。

 会長どうしの歌の譲り合い合戦が続く。

 「本当は自分の方が先だよ!この音痴め!」と内心、お互いに思いあっていることは、顔に出るのですぐに分かった。

 そこで、町内会の会長が折れ、「それではわたしがお先に、与作を歌います」というと、何を思ったのか、商店街の会長が、「西城秀樹のヤングマン!を歌います!」といい出す。

 やはり、ナンバーワンであるというところを見せたかったのであろう。

 町内の人たちは、この二人の言い争いをつまみにして、ビニール袋からごそごそとビール、チューハイなどを取り出し飲み始める。

 結局、この対決は二人が一緒に歌うということで決着がついた。

 それも、「演歌、流行歌」ではないという条件付きで手打ちとなった。

 ヤクザの抗争の手打ちの儀式のようであった。

 「どんぐりころころ、どんぐりこ〜〜〜♪」と二人で歌い、後は、町内の人たちへマイクが渡った。

 みな真剣に「どんぐりころころ、どんぐりこ〜♪」を聴き、バス内、満場一致の拍手である。

 「パチパチパチ〜〜〜」

 どこまで次元が低いのであろうか。よくそれで、家庭を持ち、生きていけるな、と感心した。

 旅館についてから、狂乱の宴会がはじまるのである。


                              つづく。

 5月に入り次第、ページを変え、リンクします。

       
 

                    <コラムとエッセー> その2












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