中学受験 国語 家庭教師 個別指導

       斎藤の<国語の頭脳>教室

  



斎藤先生の<コラム> <エッセー>

<コラムとエッセー> その3
<コラム・エッセー>


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第十三話

 狂喜の怒涛に満ちた宴会話は、この次にします。

 <文学解釈の変遷について。>

 昔は、読書をすると作者は何を言っていますか?とか、どういう読み方教育方針が一般的であったと思う。

 最近では、<作者の不在性>が主張され、作者が何を言っているのかではではなく、<作品>を一つの<テクスト>として、読者が自由にそこから読み取れることを<想像>し、新しい<解釈>を<意味生成>していくということが、一般論的になって来た。すなわち、<読むこと(読書すること)>が、新しい<意味生成>をなすのだから、読書すること=新しい作品を書くこと、という<行為>になって来た。

 また、昔は、良い<文章スタイル>に<良い意味内容>がついてくるとなっていたが、現在、<文章スタイル>と<意味内容>は完全に分岐された。文章スタイル=骨であり、意味内容=肉であるという公式が崩壊したのである。

 しかし、学校教育の<現場>では、まだ実験的なことは行われず、古典的な教育方針を未だに取っている。

 それもそのはずで、それらの<理論>は<欧米>において浸透しているのである。

 日本はまだ、紹介段階である。

 教育先進国になって欲しいものである。

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 第十四話

 わたしが<文学的な>意味によって有罪か無罪か裁かれたら当然、有罪となるであろう。

 わたしは、この<世界>に生きていてはいけない人間である。
 この世に不可侵入しているのである。

 わたしは、この世の<慣習><習慣>を嫌い反抗の精神を持つことが一番であると考えている。

 さらに、一つの<場>で物事を究めさせられることほど、わたしを退屈させるものはない。倦怠である。

 だからこそ、わたしは<この世>より<神話>の世界に行くのである。

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  第十五話

 狂乱怒涛の宴会が始まろうとしている。

 バスの中での狂気じみた醜く滑稽なカラオケ大会は終わり、みんな高いびきで眠っている。バス内に空になった発泡酒、ビール、チュウハイの缶、柿の種、サツマイモ、リンゴ、するめ、おにぎりが散乱している。異臭を放ち観光バスというより、ゴミ収集車に乗っているようであった。臭いので、鼻で息をせず、口で空気を取り入れるように努力した。耳栓を鼻に入れてもよいのである。

 現地に着いた。遠足のような小さな旅行であるので小山に着いた、近徐の公園に着いた、という感じであった。

 バスガイドさんの明るいハキハキとしたこのバス内の異臭と異様な有様を消す、「皆様、着きましたよ、お疲れ様でございます」という声で、みなパっと目覚め、「無事着いたか、良かったな!」と歓喜の海で今度は満ち溢れている。

 いっせいに、パチパチパチパチ〜♪のアポロが月面着陸を人類が初めて成し遂げたような、赤子の拍手喝采である。

 飛行機でないんだから無事着いて当たり前だろう、と内心呟きながらわたし自身も顔が引きつらんばかりの笑みを作り拍手である。

 着いても皆降りようとしない。降りる順番が問題なのである。商店街の会長と町内会の会長は同性愛者、すなわち、ホモであるがごとく手を取り合い抱き合い、お互いの肩、胸を叩きながら同時に地上に足をつけた。アポロの「小さな一歩ではあるけれど、人類にとっては偉大な一歩である」とは大きくかけ離れていた。

 みな、内心ほっとし、町内に在住が長いものから順次下りて行った。

 わたしは最後に降りたが、バスガイドさんにバス内のお掃除大変ですね、というと、いいえ、運転手と共にしますからと運転手さんの方を見てウインクする姿が見てとれた。内心、この二人できているな、と思い、そうは言えず、ありがとうございますと如才なく下車した。

 旅館というより民宿である。

 部屋の割り当ては、仲の良い家庭同士がいっしょになることになっていた。わたしは、前述した旅行の行き先を決める際に使われた居酒屋のご家庭といっしょの部屋であった。

 床の間も座布団もテーブルもない。

 いわゆるタコ部屋である。

 住居のない工事現場の職人さんが一時的に寝泊まりする際に押し込まれる、所謂、素泊まりと変わらない状態である。

 それでも窓があり安心した。

 一人、畳一畳という計算になる。寝て一畳、起きて半畳とはこのような場所を言うのだなと新しいことを学んだ。どうせ、寝るだけであるし、宴会は別の大広間であるからこんなものであろうと、自らを落ち着かせようとした。

 居酒屋のご亭主のところは子供さんが五人いるのでわたしを入れて八人である。そして、部屋は八畳。一人の取り分は畳一畳と良い算数の問題になっていることに気がつき、部屋を誰と誰にどう分け与えるかを誰が考案したのか気になった。

 なかなか、今どき、畳、一畳単位で家庭と家庭をいっしょにさせるいう発想はないと思う。

                       つづく

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 第十六話

 私は多くの人に好かれ、同時に憎まれてきた。すなわち、愛され憎まれて来たのである。そのことにより、整合性が取れ今の私が在る。

 わたしは軽薄を嫌う。それは精神に対する罪であるからである。幻想も嫌いなのに、幻想派、夢想派と思われる。

 わたしはあらゆる手段を使って人々の心を挑発してきた。それが、肥大化した精神の活性化につながる考えるからである。

 わたしは、スケート競技で自由型と形式型があったならば、形式型の中で自由型を演じる人間である。

 一つの形式の場を極め、次の新しい方法手段に移るのである。新しい表現手段である。

 一つの場だけで、表現し続けることは退屈である。

 わたしは、<言語、詩>を一貫して貫き通したいだけである。

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 第十七話

 この時期、花粉症であるのに新型インフルエンザの発生で不安が募る。

 この教育業界は6月まではゆっくりである。秋口から忙しくなり11月から1月にかけて殺人的な忙しさになる。大晦日もお正月もない。一番忙しい時で、朝の五時起きで7時に家を出る。そして、深夜0時頃に帰宅という連日が続く。電車で移動中に仮眠する有り様である。何度、降りる駅を通りすぎてしまって焦ったやら。

 なぜか「国語」は甘く見られる。英語ではなく日本語であるからそのうち何とかなるであろうという甘さがあると思う。そして、11月頃から国語が全体の偏差値を引っ張ってしまい第一志望に入れないという不安に襲われる。

 国語は非常に算数と同じで論理的な教科である。
 その証拠に、何を書いても得点になるわけではない。
 問題で問われていることを理解し、作者の意図していること加味して答えなければならない。

 段落の構成の理解は大切である。

1□→2□ー3□ー4□
        Ι  Ι→7□→8□→9□
        5□ー6□

  問題提起、要旨になっていること要旨につながる事が書いてある。

  1の結論

 3 4 5 6 で、の結論に具体的な例えを出し、説得性を与える

 7 で、3 4 5 6 の具体的な例題のまとめ

  文章全体のまとめ

  ときどき、まとめの後筆者から読書への問いかけが来るときがある。

 
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 第十八話

 以前ここで風変わりなお鮨屋さんがあったことを書いたと思う。

 ある大手出版社の編集部で働きながら創作活動をし、そこのお鮨屋さんのご主人は芥川賞候補となった。しかし落選しオール読み物が拾ってくれると言ったにもかかわらず、文壇と一切縁を切り、父親の後を継いだお鮨屋さんである。

 ご主人の話では、当時、「今回、芥川賞は確実だ、俺のために芥川賞は作られたようなものだ、わはははっ! 今に見ていろよ、今まで散々人に頭を下げさせて、原稿の依頼をさせた出版社、人を平気で足蹴にした作家連中め! 今度は、俺がナンバー1だぜ!わはははっ!・・・・」と大きなことを言い、大盤振る舞いをしていたらしい。

 それではもうそこには居られないだろう。

 辞めて当然であると不思議と納得してしまった。

 そこで、<先生>という言葉が問題になったことがある。

 事実、そこは<先生>と呼ばれる人が多く来ていた。

 医師、医学部教授、大学教授、画家、を初め、マージャンの先生、かさの先生(杖の代わりにかさをいつも持ち歩きついていたからである。)がいた。

 お鮨屋のご主人は<先生>という言葉に敏感であった。

 当時、わたしでさえ大学の講師をしていたので、<先生>と呼ばれていた。お鮨屋のご主人だけ<先生>とは呼ばれなかった。〜さんと呼ばれていた。そこで、お鮨屋のご主人は常連さんに<先生>と言う言葉は、わたしはあなたがたに教わっているわけではない、だから、<〜さん>にしようと提案した。みな、すぐに同意したが、また、すぐに<〜先生>になってしまうのである。

 そのことに数か月悩んだご主人は、<何何之〜先生>としようという事に決めた。

 大学教授は、<大学の先生>、画家は、<絵の先生>、マージャンの先生は<移動せず>。かさの先生も<移動せず>である。

 こういう風に分類しているうちに大きな事が起きるのである。


                      つづく。

  追伸
  
<つづく>が二つになってしまった。同時並行コラムと我ながらあきれた。

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 第十九話

 前述した、風変わりなお鮨屋さんの続きである。

 お鮨屋さんは先に書いたように<先生>という言葉に敏感であった。

 その理由は、先生方が多く、「先生、先生!」と呼び合い、仲良く飲み合う姿に我慢が出来なかったからである。

 自分が単純に鮨屋の親父で、「〜さん」、としか呼ばれない妬み嫉妬が隠されていたことは誰の目にも手に取るように分かっていた。その事にやっきになり、<何なにの先生>とお互い呼ばせることで、「先生」の言い合いを徐々に解体して行こうとする企みがあった。

 また、お鮨屋さんのご主人は出版社に勤務している時代、作家の北杜夫氏、故・埴谷氏のところへ原稿の依頼で行った際、「わたしはあなたに何も教えていないし、先生と呼ばれるほど偉くはありません、○○さん、と呼んでください。」と手厳しく叱られ、そして、「先生」という言葉について新たに学び、その深みを知ったことが、その根底にはあった。

 問題はT大学教授で医師のO氏であった。教授であるが医師であるので、「先生」と呼ばずにはいられない。

 <大学の先生>、<絵の先生>、<マージャンの先生>、<傘の先生>は分かるが、どうも<医師の先生>と呼ぶのは不自然であると、お鮨屋のご主人は察知していた。

 それどう片付けたらよいかヤッキ!になっていたのである。

 さらに、そのT大学教授で医師のO氏は、お鮨屋のご主人のことを、「○○君〜」と呼んでいた。さらに、「君は昔、作文を書いていたんだってね。」と平然とした顔で、元・芥川賞候補ということは誇りにして生きているそこのご主人に対して、誰が聞いても嫌味たっぷりなのだが、嫌味なのに嫌味ではないように、言葉巧みに言い切った。

 また、お釣りは500円玉が良いとか、ここのウニは腐っていたとか(事実、腐っており、ご主人は謝罪した・・・)、ここのツマミは不味いから隣のスーパーでピーナッツを買ってくるとか、好き勝手なことを言い放題、し放題であった。ある時は、ウイスキー持参で来て、○○君(そこのご主人のこと)にも飲ませてあげるから、氷と水ねと言う始末である。スーパーでピーナッツのツマミを買われウイスキーを持ちこまれたら無料、ただ同然である。みんなにこのような事が普及すれば、店は潰れてしまうと悲劇、悲惨であり、見方によっては滑稽とも取れる不吉な予兆を感じていた。

 この<先生>に対しては、実は、みな腹を据えかねていた。しかし、彼は、T大学教授で医師である肩書きに守られていたのである。

 この<先生>を「先生」と呼んでなるものか!と、ご主人を一段と苦しめ、酒量を増やさせたのである。

                        つづく。

 
  

<コラムとエッセー> その3












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